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【取材や講演活動も】グループホームの管理者が語る。『施設改革』や『大変』なことを紹介

本記事では、グループホームの管理者をしていた男性の体験談を紹介しています。

グループホームの管理者をしていた男性のプロフィール

プロフィール
  • 秋田県
  • 介護職歴:20年
  • グループホーム歴:10年
  • 職員数:約10名
  • 保有資格:介護福祉士・認知症実践者研修
  • 年収:手取り250万円
  • 処遇改善~途中から付いたが、金額はバラバラ

グループホームの管理者としての仕事内容

特養からグループホームの正社員になった。

基本給は12万円がベースだったが、諸手当がつき、年二回の賞与もあり、昇給も毎年あった。

特養と違って少しでも増えることは希望が持てた。

だが、今までの公的な機関とは違い、民間だ。

すべての事が厳しくなる。

お役所的な仕事と違い、業務の効率化、入居者の稼働率など毎月理事長より厳しい指導があった。

入職後1年で介護福祉士を取得して管理者になった、管理者手当が付き、手取りが20万円を超えたが、毎日がサービス残業、公休出勤も当たり前である。

入居者の急変時などは夜間の救急外来で朝まで受診に同行したことや、職員が急に休まれて、日勤と夜勤を通したこともある。

前の特養では考えられない勤務である。

当時、グループホームが大量に増え、どこの事業所も職員の取り合いになった。

また、キャリアのある経験者は引き抜き合戦だった。

それだけ人が足りず、どの事業所もレベルの低さも見られた。

僕が入職したころは、ヘルパー2級が3人、あとは3名は無資格。

特養に比べ、あまりにもレベルが低く、キャリア3年の僕でも頭を抱えるようなケアが多々あった。

ただ、少人数なので特養と違い、利用者様との会話は非常に増え、家族的なケアもできた。

グループホームの改革を始める

僕は他の事業所は参考にせず、独特なグループホームに変えていった。

まず、食事の一週間の献立表は廃止、その日その日、冷蔵庫と相談する一般家庭と同じシステムに切り替えた。

食事はおにぎりの日もあれば、食パン、既製品のお弁当、レトルトカレーに缶詰めパーティ、インスタントラーメンも食べた。

施設っぽい雰囲気が嫌で、掲示物や記録も最小限にし、できる限り在宅生活の継続を目指した。

玄関には畑でとれた野菜が置いてあったり、居間も雑然と散らかっていた。

薬以外の決まりごとはなかった。

外出の機会も多く、温泉やお祭りほか、地域の行事にも必ず参加した、自由奔放なグループホームとして、マスコミにも取り上げられ利用者も増えた。

ある日、外部評価があった。

評価員があまりにも、グダグダうるさいので「評価できるのは、ここに住まわれている方だけだ、あなたが半日で何がわかる?評価したいなら、一週間暮らせ」と僕は言った。

数日後、外部評価の結果はパーフェクトだった。

その後、僕に公的機関の運営委員の依頼や、講演依頼、職場見学や実習も増えてきた。

他のグループホームとは違う独自の路線を走りだしていった。

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グループホームの管理者として『大変』なこと

管理者として24時間休息が取れることがなかった、休みの日も何かと呼び出されることも多かった。

国の基準も変わってくる。看護師やケアマネの配置やスプリンクラーの設置、看取り加算などだ。

そのあたりからだんだんと理事長との意見の衝突も増えてきた。

そのほか、利用者様のご家族でお金にルーズな方にも苦労した。

一度、ホーム内でご家族様たちが大ゲンカしたこともあった。

どこの家庭にもそれなりの苦労があるんだなと実感していた。

在宅で暮らせそうな方も正直、たくさんいたが、いろいろな背景があった。

理事長との対立がピークに達し、左遷されることに。

理事長との対立もピークを迎えた。

営利目的のみの異業種の理事長と、現場主義との僕の間に亀裂が入った。

もちろん事業なので経営もわかる。

だだ、妥協できない部分もあり、理事長にも意見する。

理事長は給料の安いイエスマンの大人しい男性職員を突然管理者にして、僕を系列の他の事業所に左遷命令が出た。

僕は自主的に身を引いた。
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