本記事では、デイサービスで介護士をしていた男性の体験談を紹介しています。
デイサービスで介護士をしていた男性のプロフィール
- 秋田県
- 介護職歴:20年
- デイサービス歴:4年
- デイサービスの職員数:約10名
- 保有資格:介護福祉士・現認知症実践者研修
- 年収:手取り300万円
- 処遇改善~3月に5万円くらい支給
デイサービスでの仕事は楽しい
ぼくが働いていたデイサービスは巨大な法人のなかのとある事業所で、僕の所属は初のデイサービスだった。
デイサービスでの給料は特養やグループホームを経験したなかで、今までに比べ、高かった。
各諸手当、二か月分の賞与が6月と12月、毎年の昇給や福利厚生が充実していた。
残業はほとんどなかったが、公休日に会議などがあり、時間外として支給されていた。
当時デイサービスの利用者が右肩下がりで他市町村に利用者様を取られていた。
そのテコ入れ動員で僕がデイサービスになったと管理者から話があった。
デイサービスとは今までの特養やグループホームとはまったく違う介護だった。
介護というより、まさしくサービス業である。
特養やグループホームのように利用者様が生活されているわけではない。
自宅から来ていただくために、魅力あるサービスを提供しなかればならなかった。
定員30名の月曜日から金曜日までのお役所的な営業であった。
利用人数は少ない日で20名、多いと25名くらいだった。
サービスはお風呂と昼食がメインだった。
大きな温泉の浴場は人気の一つであり、また、食事も美味しく、職員の検食の日はうれしかった。
自立度の高い方が多く、見守り、一部介助が主だった。
介護技術も大事だが、それ以上に余暇時間のサービスが職員の力量を試す場面だった。
職員もいろいろなアビリティを持っていた。
筋トレ体操に特化した方、脳トレなど頭の体操を得意とした方、歌が大変上手でレクの盛り上げの上手な方などバラエティだ。
一芸のない職員は介護雑誌に載っているゲームや工作などを行っていた。
この辺りは僕の得意とするところであった。
子供の頃から人を笑わすことが大好きで、道具一つがなくても話術で盛り上げることができた。
またデイサービスでは外出行事に力を入れていた。
春の桜の花見、夏のラベンダー、秋の紅葉見学などだ。外出行事など職員の一緒に楽しめた。
特養やグループホーム時代とは、まったく業務内容が違った。
身体面の疲労はなく、季節季節に行事があるため1年がとても速く感じた。
利用者様を楽しますために、数多くの行事やレク、イベントを企画した。
僕が企画したイベントで大好評だったのは、移動商店街であった。
山間部の施設だったので買い物難民だった利用者様が大変多かった。
就労福祉施設や遠方から商店街の方を5件ほど集まって頂き、施設全体を商店街にした。
目的はただ物販をするのではなく、商品を購入する際のお金の計算など、頭と指を使う訓練にウエイトをおいた。
高額な商品は置かず、菓子、衣類、雑貨日用品などを中心にした。
今のレジや自動支払いと違って対面販売は本当に良かった、たくさんの会話が弾み、中には「これをもう一つ買うから、まけてくれー」と駆け引きも見られる。
「これ、似合うかな?」と利用者様同士の品定めも楽しい。
衣類などで季節感も味わえるので認知症の予防にもなった。
デイサービスの介護士として『大変』だとおもうこと
特につらいという業務はなかったが、企画書をあげて何人も決済を通すのが大変だった。
中でも直属の上司には、企画書の内容を「みんなの見本になるように」と毎度、プレッシャーをかけられ、何度も何度も書き直しさせられたのは大変でした。
他、利用者様のレベルが高い方が多くて、本当に普段、愚痴や相談を聞いてくれるような方もいて、その方たちが利用終了の時はとても辛かったです。
部署異動によりデイサービスを離れた
辞めたいとは一度もなかったですが、5年目は本部からの辞令で他の部門に異動になりました。
どの正職員も法人内他の事業所の業務を覚えるために3~4年周期で異動するらしいです。
それでも楽しかった4年でした。
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