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病院で介護福祉士として働き、『つらい・大変な事』『やりがい』『辞めたい』と感じたことを紹介

本記事では、病院で看護助手ではなく介護福祉士として働いていた女性の体験談を紹介しています。

病院での看護助手や介護士としての仕事に興味がある方へ、ぜひ参考にしてみてください。

病院で介護福祉士として14年間働いた女性のプロフィール

プロフィール
  1. お住い都道府県:長野県
  2. 介護職歴:17年
  3. 病院での勤務歴:14年
  4. お勤めの法人の従業員数:600人
  5. 保有資格:介護福祉士・社会福祉主事任用資格・保育士
  6. 病院での年収:約300万円
給料の詳細
  1. 基本給 17万円
  2. 手当(処遇改善手当・夜勤手当・その他の手当) 夜勤手当1日1万2千円(経験者優遇)、交通費等、福利厚生あり
  3. ボーナス(支給回数など) 1.5ヶ月×2回
  4. 昇給額 500円/年
  5. サービス残業:あり

病院で介護福祉士として働いて『つらい』『大変』と感じたこと

当時、介護福祉士としての採用は病院では初めてのことで、介護福祉士の扱いをどうするのか、病院側としても私たち介護福祉士も試行錯誤していました。

看護助手がいるのに介護福祉士が入ったことで、業務を区分けしないと行けないということになり、介護福祉士の業務を作りました。

しかし、実情は看護助手との差はなく、ほとんど同じ仕事内容を毎日こなしており、介護福祉士なのに…と辛く思うこともありました。

特に土日の仕事は、看護助手が居ない時もあり、日勤の仕事は看護助手の仕事を介護福祉士がやっていました。

夜勤も看護師2人、介護福祉士か看護助手1人だったので、看護助手の仕事を介護福祉士が担当していました。

病院ならではの『大変』がある

わがままな患者がいて、その人に付き合うのはかなり苦痛でした。

施設とは違い、高齢者ばかりでなく、若い方もいたので接する時にかなり神経を使いました。

体調管理が上手くいかず、更に人間関係でつまずき、日勤だけの病棟に異動になりました。

その時は、外科病棟で2年、脳外科病棟で1年勤務しました。

外科病棟ではターミナルケアの患者様が多く、末期ガンなどで日々亡くなる方が居り、死後処置もすることがありました。

気が知れていた患者様が亡くなると、とても辛かったです。

入退院が激しい病棟だったため、ベッドメイキングが何室も重なると、腰痛がきつかったです。

2人でするベッドメイキングを1人で淡々とこなすのは1人の方が楽でしたが、やはり体力的には大変でした。

看護師からは介護福祉士として扱われることはほぼなく、看護助手と同様の扱いで雑用全般をしなくてはならず、処置に使う器具の名前を覚えなくてはならず、大変でした。

薬のカートを運んだり雑用の毎日でした。

週2回入浴介助があり、機械浴で10人までと決めていた入浴の人数を看護師に増やされ、12人以上入れることもありました。

早番はほぼその業務で残業で、日勤でも終わるのは13時に始めて16時過ぎたりして、待っている患者様からも早くして欲しい、と言われたり、時間の采配等大変なこともありました。

脳外科では入浴介助や手浴、足浴などを中心に、自分たちで計画を決めながら介護福祉士業務にも取り組めるようになりました。

脳外科も特浴(機械浴)だけで1日12人入れなければならない時もあり、早番は残業でした。

その後、回復期病棟へ異動になり長女を妊娠し、日勤だけの業務を続けていました。

後半で切迫早産になって産休予定よりも早くに休みに入る事になり、最後まで仕事に行けなかったのがとても悔しかったです。

この頃は受け持ち患者を決めて、介護施設と同じようにケアプランのようなものを決めて、介護福祉士1人で3人受け持ちを持つ事になりました。

ケアプランを立てるのは大変でしたが、介護福祉士としての業務をできることはとてもやりがいがありました。

電子カルテが導入され、パソコンでの業務になり、パソコンの台数が足らず、記載をしたくても看護師が優先で使っており、なかなか記載ができないこともありました。

長女の育休から復帰して3ヶ月で次女を妊娠し、やはり夜勤は厳しく日勤のみになりました。

次女妊娠で退職を決めており、やはり切迫早産気味で日勤だけでも体力的にきつかったです。

長女を院内の託児所に預けて時短で働いていましたが、周りに気を遣って精神的に辛かったです。

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病院で介護福祉士として働いて『辞めよう・辞めたい』と感じたこと

介護福祉士としての採用だったにも関わらず、看護師の初任給を提示されていたことを聞いた時は、騙されたと思い、直ぐに辞めるだろうなと思いました。

給与も一般給で福祉俸給ではなく、組合で福祉俸給に変更するために努力をしました。

しかし、なかなか福祉俸給にならず、8人いた介護福祉士が次々辞めていき、最終的に5人になりました。

また、人間関係が複雑で、施設のように人数が介護士>看護師ではなく、看護師>介護士で、なかなか介護福祉士の仕事を理解してもらえず、看護師が看護助手と仕事を混同して頼んできたり、扱いがあまり良くなかったので日々辞めたいなと思うことはありました。

次女の出産後主人の地元へ帰ることになり、病院を辞めました。

10年以上務めた場所だったので、辞めたいと思うことは多々ありましたが、給与面で言うと施設よりも病院の方が良かったです。
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