本記事では、看護学校に通いながら病院で看護助手の仕事をしていた女性の体験談を紹介しています。
看護助手の仕事に興味がある方はぜひ参考にしてみてください。
看護助手として2年間働いていた女性のプロフィール
- 30代(女性)
- 都道府県:愛媛県
- 介護.看護歴:10年
- 看護助手歴:2年
- 保有資格:看護師・保健師
看護助手としての給料【詳細】
私は定時制の准看護学校へ通いながら、病院で看護助手を務めていました。
基本給は13万円くらいで保険など引かれて手取りは10万弱です。
親元を離れ病院の寮に住み込みで働いていたので、寮費が月6000円ほど差し引かれました。
また、看護学校へ通っているので、学費が前期と後期でまとまった金額を支払わなければなりませんでしたが、勤め先の病院で半額ほど支援していただきました。
最初は自費で学校に全額支払いして後にキャッシュバックという形でした。
学費などを支払い少しだけ手元に残りますが、2年後に正看護師の学校の進学も控えています。
学費のための金額も残しておかなければなりません。
病院と学校の往復の生活でしたので、自由にお金を使う時間はあまりなかったので、自然と残ります。
ボーナスは年2回で5ヵ月分位です。
入職してはじめてのボーナスは満額ではありませんでしたが、高校卒業したばかりの私には大金でした。
ボーナスがあるおかげで貯蓄も行えました。
昇給は、年5000円アップでした。
基本給が変わるので、年額にすればかなり差が出てきました。
サービス残業は日によって違いました。
急な入院が決まって入院対応している看護師さんが出払っているためナースコール対応に追われていました。
患者さんの状態にその日どうなるかわかりません。
平均して1、2時間程度のサービス残業はありました。
月給制なので残業代はもらったことはありません。
当時は残業代という存在を知りませんでした。
時間外で行われる勉強会は休みの日も出席しなければなりません。
週一回の休みがつぶれることもよくありました。代休などはありませんでした。
病院の寮から病院まで徒歩圏内です。
時々看護師さんから外線が入ります。その時は出動します。
時間外手当は発生しませんでした。
看護助手として働いて『つらい』『大変』とおもったこと
とにかく行き着く間もないのが大変でした。
朝8時30分に学校が始まり、病院には朝7時に出勤して外来診療準備をし、8時過ぎに自転車で学校まで飛ばして行きます。
病院の更衣室は6階で、学生はエレベーターを使ってはいけないとの事だったので、駆け足で階段を上り下りしていました。
12時半に授業が終わり、13時までに病院に戻ります。
病院の食堂で駆け込んでご飯を食べて、病棟や外来のポジションにつきます。
業務内容は、診療介助や、掃除、ごみ集めなど簡単な内容でした。
覚えることが多すぎて、いつも頭の中はオーバーフロー状態でした。
先輩や看護師から同級生と比べられる時があります。
途中で看護師さんに用事を頼まれたり、呼び出されたりとすることがあります。
やっていた業務がどこまでやったわからなくなります。看護師さんによっては、看護助手を小間使いのように思っている人もいました。19時まで勤務は続きます。
仕事も立ちっぱなしなので足はいつもむくんでいました。
学校のテストが翌日に控えていれば、帰宅して勉強をします。
疲れきった頭では、勉強は進みません。
テストで成績が悪いと学校から勤務先の上司に連絡が入ります。
なぜ成績が下がったのかと問われます。
いつも先輩や看護師さんにおびえていました。
自分の行動をいつも監視されているのではないかと思うからです。
後ろを向いていても視線を感じます。
看護助手を『辞めたい』と感じたこと
いつも『辞めたい』と感じていました。
もっと言えば入職時のオリエンテーションからです。
現場に出る前に1週間ほど研修がありました。
座学がとても苦手な私は、苦痛以外の何者でもありませんでした。
辞めるのが目的となっていたかもしれません。
20前後の私は、辞めたら今後のビジョンは全く見えていませんでした。
心身ともに疲弊されており、辞めたいよりも休みたい気持ちが強かったです。
辞めたら他の人に迷惑がかかる、このまま続けていても戦力には及ばない。
負のスパイラルに陥っていました。
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